母校が避難所になった日、僕が見たもの
ツアーの中で訪れた輪島高校。
そこは僕の母校であり、2024年1月の震災直後には、地域の避難所として開かれた場所でもあります。
実はそのとき、僕自身もこの避難所でボランティアとして活動していました。

余震が続く中、体育館には地域の方々が続々と集まり、物資の運搬、避難者の誘導、ストーブの準備など、できることを一つひとつ行っていました。
今回、ツアーで再び輪島高校を訪れ、校長先生から当時の詳しいお話を伺うことができました。

『震災直後という極限の中、現場で下される“判断”がどれほど重かったか。』
校長先生のお話を聞いて改めて防災教育や仕組みづくりが本当に必要だと実感しました。
混乱の中でも冷静に動き、学校の施設を使って避難生活を支えていました。
学校は“学びの場”から“命を守る場”へと一瞬で姿を変え、それを支えたのは、普段から学校に関わっていた先生方や地域のつながりでした。

<避難所内の様子⬆︎>
生徒の机が荷物置き場に、職員室にはテント。
でもそこには、助け合いの空気が確かにありました。
母校が避難所になる――
その光景は、どこか不思議で、でも誇らしくもありました。
あの場所で見た一人ひとりの行動が、今も僕の原点の一つになっています。
ツアーでは、輪島高校を訪れる機会もあります。
ただの見学ではなく、“実際に何があったのか”を共有し、
そこから自分の地域ではどう備えるかを考えるきっかけになればと思っています。
